訪れるlandmark

【昔話】鐘の道

昔々、京ヶ瀬村の金淵に善照寺というお寺様がありました。
ご住職さまが、朝と晩に釣鐘をついて、村の人に時間を知らせていました。

村の人達は、仏様をたいそう大切にして鐘の音を聞くと田畑で野良仕事をしていても、 お寺に向かった手を合わせていました。
村には念仏講があって、冬の一番寒い 時に小さな鐘を打ちながらお経を読むので、皆が鐘打村と呼んでいました。

ある朝、いつものようにご住職が鐘をつくと「福島潟へいごーんいごーん」 と鳴りました。
耳のせいかと思いながら、もう一度鐘をつくと、やっぱり 「福島潟へいごーんいごーん」と鳴りました。もしやと村の人に聞いても

「うんだ、ご住職様近頃鐘の音が福島潟へいごーんいごんて聞こえます」 「はて、不思議な事もあるもんだ」とご住職は頭を抱えてしまいました。

それからは、「福島潟へいごーん、福島潟へいごーん」と毎日うるさいくて しょうがありません。

あんまりうるさいのでご住職様が「袈裟の模様を身につけて仏に仕える身 で在りながら毎日毎日福島潟へいごーんいごーんとは、誠にもって不届きじゃ そんなに行きたければ行け」と叱りました。

すると、直ぐに鐘は地面に降りるとドスン、ドスンと歩き出しました。 処が鐘が重いので歩いた痕はぺこりぺこり凹んだ道になりました。

でも鐘はどんどん歩いてとうとう隣の駒林村まで歩いてきました、が 「はて、まだ福島潟まではしばらくある、一休みするか」と鐘は近くにあった 石に腰を下ろして動かなくなってしまいました。

丁度そこで村の姉さが赤ん坊のおしめ を洗っていました。姉さが、おしめを洗ってちょいと見ると「ばっかいい 置き場所がある」と絞ったばかりのおしめを鐘に三枚ひっかけました。

そして、姉さか絞ったばかりのおしめをもう一枚ひっかけようと又振り返ると 一休みした鐘が何事もなかったようにおしめを頭に被ったまま、どんどん 歩いているではありませんか、驚いたのは姉さ「こら待て、こーら待て、こら待て」

「俺らんとこのおしめ返せ」と腰までまくって一生懸命鐘を追いかけた。

姉さが追いかけると鐘も早足になって追いつけないとうとう福島潟に着いてしまいました。

鐘は気持ち良さそうに、水の中に入るとそのまんま福島潟にブクブクと沈んでしまいました。

今でも真夏の暑い日になると鐘が福島潟に浮かんでくることがあるそうですが、 やっぱり何枚かのおしめを頭に被ったままだそうです。

鐘の歩いた道が、昔の鐘淵川と今の駒林川だということです。


親鸞聖人の従弟善照御坊が、金淵に善照寺を1263年に創立し、その後11代住職の時水原城主に招かれ水原の山口に移転し手厚く保護されました。
古くから沈鎮伝説として語り継がれてきました。

今でも水原公民館前に壮厳な本堂と境内に木組みの鐘撞き堂があります。

浄土真宗八房山 善照寺

住所
阿賀野市山口町1-1-2
TEL
0250-62-3193