「あがの駅からカード」のご案内
「道の駅あがの」を拠点に阿賀野市内を人が周遊する! 令和4年夏のオープン以来、多くの方・・・
むかし、むかし、ずっと昔のことです。
水原に大金持ちが住んでいました。
村人からは四つ橋長者とよばれていました。
大きな家と広い庭があって、そのまわりは高いヘイでかこんでありました。
また、やしきの中には白壁の土蔵がいくつもあって、四つ橋長者はなに不足なく、いばってくらしていました。
ところがある年、この地方に大水が出て、田畑はすっかり荒れ、そのつぎの年も、またそのつぎの年も、お米が少しもとれないことが何年もつづきました。
そのため、四つ橋長者の家はだんだん貧乏になり数年後には、とうとう見るかげもなくなり、そのうえ家族も病気のためつぎつぎに死んでしまい、最後の長者一人だけとなってしまいました。
長者の家が栄えていたときは、いつもおおぜいの人が来ていたのに落ちぶれてしまうとよりつく人もなくなり、そして長者もとうとう病気になって、寝たきりになってしまいました。
いよいよ死ぬときになって、長者はさいごの水がほしくなりました。 「水を飲みたい。誰か水をもってきてくれ、水がほしい。」 と大きな声で叫びましたが、誰も水をくんできてくれる人はいません。長者は人々が不親切なのをおこって、「これからは、この村の井戸から水が出るな。」といって死んでしまいました。
それからというものは、水の原、水原というくらい、よい水が出ていたこの村の井戸は全部、水が出なくなってしまいました。
たった一つ、長者に親切だった長福寺の井戸だけはいつまでも、いつまでも、おいしくてきれいな水がたくさん出たということです。