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阿賀野市むかし話

都婆の松

都婆の松

都婆の松

■玉應山 玉泉寺
阿賀野市分田1043
TEL:0250-62-2889
http://gyokusenji.org/

■現在その松は無くなりましたが玉泉寺の住職にお話をお聞きしました。

 

むかし、鎌倉時代ころ、親鸞聖人というえらい坊さんがおりました。
この坊さんが、仏の教えを広めるために、越後国(えちごのくに)に来たときのことです。

ある日、分田(水原町)というところを通りかかったら、お昼になりました。
坊さんは道ばたにこしをおろしてごはんを食べようとしましたが、はしがありません。しかたなく、そばにあった松の木の小さなえだを折って、はしのかわりにしました。

坊さんは、食べおわると、はしにしたえだを一本、道ばたの土にさしました。そしてまた旅をつづけました。

ふしぎなこともあるものです。その松のえだは、いつのまにか根がはえ、えだや葉をつけてどんどん大きくなり、見上げるほどの大木になりました。

さて、それから何百年もたったある年のことです。京都の本願寺(親鸞聖人が亡くなったあとに建てられたお寺)を新しくつくりなおすことになりました。

なにしろ、とても、とても大きなお寺です。
お金も人手もたくさんかかります。

日本中のあちらこちらの信者からお金やお米が集まりました。
お米やお金のかわりに、京都まで来て、お寺をつくる仕事を手伝う人もおおぜいいました。
何百人という人が本願寺に集まったということです。

しかし、大工事なので、できあがるまでには長い月日がかかります。働いている人びとの苦労もたいへんなものでした。

ある日のこと、お寺の工事場に、見たこともない一人のかわいい娘がたずねてきました。

『わたしは、越後の分田というところの松という者です。どうしてもこの仕事をさせていただきたくて、はるばるやってまいりました。どうか、わたしにも手伝わせてください。』と熱心にたのみました。

お寺の人たちは、遠いところからやってきたこの娘にたいそう感激しました。 翌日から、工事場には、いっしょうけんめい働く娘の姿が見られました。

そして、たいへんきれいな歌声が流れはじめました。その歌声は、働いている人びとをとても元気づけました。

『あの声は、だれじゃ。よい声じゃのう。あの声を聞くとつかれがとれるわい。』 『あれは、越後の国から来たお松という娘だそうじゃ。』 『ほんに、よい声じゃのう。』 人びとは、口ぐちにそういいあいました。
お松の歌声にのって、工事はどんどん進んでいきました。お松は、毎日、毎日、歌をうたいました。仕事もいっしょうけんめい手伝いました。

こうして、さすがの大工事も、たったの二か月あまりで完成したのでした。工事中、美しい声で歌いつづけたお松はすっかり有名になり、『お松、お松』とかわいがられました。

ところが、どうしたのでしょう。工事が終わると、いつのまにかお松の姿が見えなくなってしまったのです。
人びとは、『あの娘がだまって帰るなんて、へんじゃのう。』
『娘っこのことだ。家がこいしくて早く帰ったんじゃろう。』といいあいました。

さて、お寺では、お松のおかげで工事が早くすんだので、ひとことでもお礼をいいたいと思いました。そこで、一人の坊さんを越後の分田へ使いに出すことにしました。

はるばる分田にやってきた坊さんは、お松をいっしょうけんめいさがしました。あちらこちらとさがしまわりました。
『わたしは本願寺の者だが、この村にお松という娘はいませんか。』 と村の人びとに聞きました。工事場のお松のようすも話して聞かせました。

でも、『お坊様、おらが村には、そんな娘はおりません。』 というばかりでした。
坊さんはふしぎなこともあるものだと思いました。

ある日のこと、一人の老人に出会って、つぎのような話を聞きました。
『お坊様。じつは、この土地に親鸞聖人が植えられたという松の木があります。ところが、本願寺の工事が始まってから、その松の木はだんだん元気がなくなって、かれそうになりました。』

老人は、ずっとむかし聖人がこの地に来て植えた松の木について、くわしく話してくれたのです。
『それでは、工事場で歌をうたってくれたお松さんは、その松の木の精だったのか。』

『ふしぎなこともあるものじゃのう。』
坊さんと老人は、顔を見あわせました。
坊さんは、聖人の手植えの松のところへ行きました。
そして、松の根もとに『都婆の松』と字をきざんだ石の塔を建て、お経をよんでていねいに供養しました。

ふしぎなことに、松の木はそれから急に色がよくなり、もとの元気な松になったということです。

※分田の民話『都婆の松』については『市島薫』さんの文を引用させて戴きました。